地方移住と寂しさについて

本当に「地方に住んだら人間らしい生活を取り戻せてめでたしめでたし」…なのか?
つっきー 2022.11.06
誰でも

東京での一人暮らしを辞めて長野に戻ってから早くも2年が経とうとしている。

当初はパンデミックが収まったらまた東京で暮らすつもりでいて、次に住むなら文京区がいいな〜などとSUUMOを物色していたのが、ひょんなこと(マッチングアプリ)から長野で今の夫に出会い、さらにひょんなことから結婚に至ったため、どっぷり長野県民としてやっていくことに相成った。「東京独身一人暮らし」から「地方の人妻」へ、わずか一年の間の華麗な転身であった。

このあいだ久々に仕事で東京に行って(会社は変わっていないのでオフィスは東京にある)、びっくりしたのは「駅のうるささ」であった。これでも東京で5年暮らしていたし、渋谷や新宿に毎日通っていたし、なんならマンションは首都高のそばにおっ立っていたのでやかましいのには慣れていたはずなのに、久々に降り立った東京駅がまあ死ぬほどうるさい。耳が、入ってくる音を処理しきれなくて混乱している。目から入ってくる情報もうるさすぎる。脱毛脱毛英会話植毛ダイエット脱毛マンションポエム。うるっせーーー!!

ついでに人混みをスムーズに歩くための勘所も失っていたので改札に着くまでにめちゃくちゃ蛇行してしまった。私としたことが。

静かな土地に2年も暮せば五感もえらく変化するのだな、と納得しつつ、せっかく上京して世間に揉まれて都心でサバイブする能力を身につけたと思っていたのに、そういう自分ではもうないのだな、というのは少し寂しくもあった。めちゃくちゃ頑張って働いて都心のマンションに住んで、いろんなものや場所が手に届くところにあって、なんかちょっと格好よかったんだけどな。あーあ、おのぼりさんみたいなことしちゃってさ。

地方移住というのは得てしてキラキラ語りをされがちである。都心でのギスギスした生活を捨て、煩わしい人間関係を捨て、地方で自然に囲まれながら人間らしい生活を取り戻す。人生がなにもかも上手く行き始める。「まだ東京で消耗しているの?」的語り口。

しかし実際のところ地方は別にユートピアではない。そこには人がいて生活があるから人間関係もあるし、自然は美しいがめんどくさい。人やものとの間隔が広いからゆとりになるけれど、ゆとりが寂しさになるときもある。たまにガチャガチャして狭くてうるさくて混乱していた都市が恋しいけど、もうあそこで生きていくために鍛えた精神の筋肉は退化してしまった。自分がいまの土地に馴染んできたという安心感と、「あの頃の自分」から失ってきたものを思う。どっちがいいとかの話でなく、ただ少し寂しくて、少しほっとしているのだ。

人生がだんだん複雑になってきているのは良いことだと思う。AよりBのほうが優れているとか、Cの次はDにならなきゃいけないとか、そういう単純さでは測れなくなってくる年頃である。結婚・出産・収入・健康、人間関係、全部がいつも調子いいわけにはいかなくて、いつもちょっとどこかが寂しい。なにかを選ぶとき、同時に選ばなかった方の寂しさを引き受ける。でもみんなきっとそうだし。みんな毎日何かを選んで、ちょっとずつ寂しくなっているならまあ、そんなに悪くもないだろ。

我々にできることは引き受けた寂しさをちゃんと感じることだ。見て見ぬふりをすると寂しさが増える。「おう、お前!そこにいたのか!今日も寂しいな!(肩バンバン)」という気持ちでいると、寂しさと上手くやっていける気がする。人と比べたり、やっぱりあっちのほうが良かったんだとうじうじ後悔したりすると、やはり寂しさは増えてしまう。まあ急に寒くなった日とか、低気圧の日とかにはそういうゾーンに入ってしまうのだけど。なるべく天気の良い日に散歩したりして、寂しさを天日干しするようにしている。

今日の長野は雲ひとつない秋晴れで、紅葉が絵で書いたみたいに綺麗で、夫とドライブしたあとに寄ったカフェでこれを書いている。どれも、少しずつの寂しさを引き受けなかったら受け取れなかった幸せで、私が選び取った日常である。

明日もこんな晴れだといいな、と思う。

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