金を稼げないことを受け入れる

どうして人は働いていないとこうも立場がなくなる(ように感じる)のか。
つっきー 2022.02.06
誰でも

休職して2ヶ月、絶賛無職である。

正確には「傷病手当給付金」というのが入るし、会社に籍はあるので「無職」ではないのだが、体感的には無職感満載である。

朝起きてもやることが特にない。最低限の掃除洗濯はなんとかやっているがそれだけ。たまに戯れに街に出歩いてみるが平日昼間に出歩くとより無職感に拍車がかかるうえ、長野の冬は寒すぎる。寒さは無職の骨身に染みる。

どうして人は働いていないとこうも立場がなくなる(ように感じる)のか。

働いていたとき、特にいわゆるバリキャリ的なロードをひた走っていたとき、「こっち側」の人間をどこかでしっかり見下していた。

そんな視線がまわりまわって今の自分に刺さってくる。働いてない、たくさん稼いでない、目立つ仕事をしていない人への視線。自分が「こっち側」になるなんて微塵も考えてなくて、どうして「そっち側」になっちゃったのかなんて想像する気もなかった、浅い幼い自分の視線。

特大ブーメランが頭頂部に刺さった状態で暮らしていると、ブーメランを受け入れざるを得なくなってくるものだ。

同世代でめちゃくちゃ稼いでいる人のツイートは薄目で見るようにした。見たってなんにもならない。まあ見て「なんかになる」SNSなんてないだろう。スマホを捨てればあるのは自分の肉体と人生のみである。ブーメランが刺さった無職もこの己として今日をやっていかなければならない。

「稼いでる方が偉い」と眼前のおっさんに言われたらブチギレるだろうが、自分も内心そう思っているのだから困る。己の中にいつの間にかリトル昭和おじさんが生まれ、どでんと横幅をとって鎮座している。おじさんは言う。「いい大人がロクに稼がず家にいて穀潰しをしている」。

しかし、金を稼いでる方がより偉い理論を導入すれば、世界で一番偉いのはジェフベソスということになる。確かに死ぬほど稼いでるだろうしAmazonには世話になっているが、尊敬できるかというと違う。そもそもなんで金が欲しいんだっけ?と考えてみれば、ブランド品にはあんまり興味がないし、仮に宝くじが一億当たったとして、7000万は貯金に回すだろう。結局「家族と自分が飢えないで幸せに暮らせる保証」としての金くらいしか欲していないのかもしれない。

頑張って働いた分が数字で見えるのは嬉しいし、ご褒美に何かを自分の金で買うのは嬉しい。が、稼げる金の寡多と人間の価値を重ねてしまうと自分も周りも金で見るようになってしまう。自分への眼差しは他人への眼差しだ。この人は稼いでる人、この人は稼げない人、というものの見方は貧しい。「人生金が全てじゃない」と綺麗事を言うつもりはないが、人生の旨味の大部分は金の範疇の外で起こると思う。それは家族との間だけで通じるギャグで大笑いしているときとか、久しぶりに会った人と美味しい酒を飲むときとか、冬の空気の中に春の空気を感じ取ったときとか。金はそんな瞬間を守れる分だけあればいいのだ、本当は。

ベソス的な金の稼ぎ方の才能は絶対にないということがわかったいま、金の稼ぎの寡多に自尊心を振り回されるのは避けなければならない。心の中のリトル昭和おじを黙らせたい。おじ、もういい休め。おじのおかげでたくさん働けたけど、もうそういうやり方はやめたのだ。

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